近況報告〜MRJの開発を手伝っています

                                                                                    池原 伸博

皆さん、お久し振りです。高20回の池原伸博です。昭和50年に三菱重工業

名古屋航空機製作所(名航)に入社して名古屋で暮らす様になってから、40年以上

が経ちました。

入社した頃は、防衛庁向けの機種で電気装備の設計に従事していました。暫くして

CCVと呼ばれる研究機の開発チームに加わりました。当時日本でもコンピュータを使った飛行

制御システムの研究をしようと考えたのです。それ以来自分が係わった飛行機の初飛行を

何度か見ました。勿論最初はCCV研究機で、離陸時に大きく揺れるところがテレビで放

送されたのを、覚えている人も居るでしょう。それ以降については機種名だけを挙げ

ると、F-4改、FS-X(F-2)F-15近代化、そして最近のMRJ。実は、平成27年11月

11日のMRJの初飛行は、私自身にとっても約20年ぶりのことだったので感激も一入

でした。 

  平成25年2月、三菱航空機鰍ゥらMRJの開発を手伝って欲しいという招集令状の

様な手紙が来たのが始まりでした。「確認主任者」としてMRJ開発の節目節目で部品

や試験の立会検査をやって欲しいと言う内容で、日本の航空局(JCAB)の検査官の代行

と言う立場で働くとのことでした。名航のOBとしての経験を活用すれば出来る筈と言

われ、同年の4月から半年間、教育・実習を受けて確認主任者になりました。同時期

に招集された先輩や元同僚の何人もが、同じように確認主任者として採用されて活動

しています。

 平成25年10月から本格的に活動を開始し、平成26年と27年前半の1年半の間で

合計13回海外へ出張(主に米国)して、部品の検査や開発試験の立会を行いました。米国と

言っても、航空機の部品を作ったり開発試験を行ったりする場所は少し田舎で、皆さんには

馴染みのない都市が殆どです。例えば、カラマズー、シダーラピッズ、タスティン、フェニックス(ここは少し大

きい都市)です。一度、プエルトリコへも搭載用発電機の検査に行きました。

 そして、何度かのスケジュール見直しをしてやっと初飛行に漕ぎつけた訳ですが、旅客機の

開発は初飛行がゴールではありません。初飛行とは、「複数の飛行試験用機体の最初の1機が

初めて飛んだ」という意味でそれ以上の意味は無いのです。お客様に乗って頂くためには、

開発した飛行機の安全性等を証明するため膨大な試験項目をクリアしていく必要があり、それ

には全部で約2500回の飛行が必要と見積っています。効率的に飛行試験を進めるためには

複数の飛行試験機が必要で、次々に製造し、次々に初飛行させて試験に投入します。飛行

試験は主に米国で実施する計画ですが、総ての試験がうまく行った時に最初のゴールに到達

したということなります。

 その次に、試験結果を反映した量産機を作って、飛ばして、ANA様に納入して、やっと

皆さんに乗って頂けるようになる訳です。どうかその日を、楽しみに待っていて下さい。